
とあるご縁で、守一氏の娘さん・榧さんから御依頼を受け、
32年前に亡くなられた画家・熊谷守一氏を悼んで毎年催されている宴、
守一忌(もりかずき)の演奏者として呼んでいただき
先日2009年8月1日に歌って参りました。
(これはお身内の会だったので、告知はしませんでした。)
あまり長い時間ではなかったので、ほんとうに数曲ではありましたが
表にはあまり出ず製作をしていた半年だったのと
一人で演奏をしていくことになってから初めて歌いに出掛けた会だったので
はらはらと、キーボードを担いで行きました。
守一氏が亡くなられた、1977年8月1日の数日後に私自身が生まれたのだ
ということに気付いたのは、当日です。
この体が変化を遂げて辿り着いた現在までに流れた時間分
私は、守一氏と入れ替わるように世界と対峙してきたのだと思うと
これは責任重大だ、と、ますますはらはらしながらやっていましたけれども
終わってみると、だからこそ「どん」とそこにいさえすればよかったんだよ
と思います。
私が歌ったのは一階の展示室で、
守一氏の様々な代表作に囲まれて、演奏をしました。
向かって左には自画像と、油絵の具のこびりついた大きなイーゼルが
向かって右には、お気に入りだった(壊れた)チェロがあり
私のすぐうしろには、卵の絵がありました。
それぞれの絵には物語があり、この卵の絵にも隠された物語があることをその日知りました。
その絵の前でしっかり歌うということが、はたして出来ていただろうかと
そればかりが心配でしたが
心配は集中を削ぐだけで、結局のところ、絵を忘れた時の声が一番、
絵の前に存在するにはふさわしかったのだという不思議なことに
気付いたのは今朝でした。
ああ、雨が上がって、蝉達が鳴き始めました。
熊谷守一美術館