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左から、私、
鬼束ちひろ(通称:ちい)、岩城里江子、松尾嘉子、手前はかりん。
昼過ぎに行われる
一角座特別ライブのため
東京芸大工芸棟の裏にこっそり入り込み、みんなで合わせ稽古中。
ちょうど
<藝祭>期間中で、辺りはお祭り騒ぎだった。
(一角座は
東京国立博物館の敷地内にあり規則が厳しく、音が出せなかったので
徒歩五分のところにあった芸大でリハーサルをすることになりました。
校庭では、建築科生を軸にした
「もんしぇんプロジェクト」による飲屋『もんしぇん』が
沖縄島ブタを焼いたり、天草のじゃこ入り焼きおにぎりを売っていました)
彼女の声を初めて聞いた時。
60歳になったら作ろうと決めていた映画を、今すぐ作ろうと思い立ちました。
あの時わたしは確か22くらいで
芸大を休学していた頃だったでしょうか。
ある人に聞かされた、
<月光>という曲の第一声を聞いたときのことです。
ああ、あの子がいた!
と 思いました。
私が16歳の時・・・というところからいつも話は始まりますが
16歳の時。
天草の海と初めて出会った時。
私は想像の中で一人の少女と出会いました。
目には見えず、声も発しない
少女の姿をしているけれども本当は80歳を越えたお婆ちゃんのその人は
彼女以外は皆本当に80歳を越えた老人達と共に
小さな天草の入江の集落に暮らしてるようでした。
自分の生まれた土地でもなんでもない場所で、
何故自分がそのようなものを感じ、受け取ったのか。
それは天草の海の化身だったのかなんだったのか。
私自身の分身だったのかなんなのか。
あの時から幾度となく私は自分に問いかけ
その度に、少女は黙って姿を現しました。
彼女を想うといつも歌が胸を突き上げてきて、苦しくなりました。
そんなふうにして何年か経ったある日。
鬼束ちひろの声を聞きました。
そこでわたしは、名前のなかった幻の少女に「ちい」という名前をつけました。
鬼束ちひろの愛称が実際に「ちい」であったことを知ったのは
あとになってからのことです。
フィクションとか、ノンフィクションとか、
わたしにはなんだかよくわかりません。
ただ、「ちい」の声が聞きたい。
そう強く願うことでわたしは前に進んできました。
そして生まれた
『うみの唄』を、2006年9月10日。
「一緒に歌いたい」と言ってくれた ちい。
それは私たちPsalmにとって
とてもとてもとてもとても
大きくて うれしい出来事でした。
だいすきな、ちいへ。
ありがとうをこめて、記します。
それから『もんしぇん』へ。
こんなにもたくさんの出会いをくれたあなたに
感謝をこめて。
yoomi
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音楽も映像も美しい。そんな美意識の高い映画は滅多にないと思います。
鬼束ちひろ(ミュージシャン)
※ライブ本番の写真は、映画『もんしぇん』ホームページにて公開。
撮影:
masa