このブログの題名を変えました。
本日以降、「奮闘記」から「反芻記」とします。
映画『もんしぇん』の公開にあたり、広くみなさんに映画や天草の存在を知っていただく為に始めたこのページも、早五年が経ちました。当初は確かにがむしゃらに「奮闘」していた私ですが、ある時期から「奮闘」という言葉にどうにも恥じらいを覚え落ち着かず、かといって自ら選び取った言葉を変えることも潔くないとそのまま綴ってまいりました。しかし、今この様々に続いて行く日々の出来事の前で「奮闘」という言葉に値するような行動も取れず悶々とする自分がどうにもこうにも腑甲斐ないのです。
五年の中で私は、様々な人、様々な土地、様々な出来事と出会いました。その出会いの全てが私の体から何かを削ぎ落とし、別の何かを培ってくれました。本当であれば、そうして私は以前にも増して力を付け、もっと人の役に立っていかなければならないはずですが、今はただ目の前にあるものとじっと向き合い考えることが精一杯で、にもかかわらず、気付くと膝を抱えて俯いている。多くの方々がそれぞれの力の限りに輝きを増し、今こそ変わろう支え合おうと呼びかけ、懸命な働きを続けておられるその声の林の中で情けなくも小さくうずくまっている自分には、「奮闘記」と記す資格はありません。では何が。ふと思い浮かんだのが「反芻」という言葉でした。
私は効率の良い人間ではありません。すぐ物を忘れるし、文字を読むことも、映像から情報を摂取することもままなりません。けれど時折ですがこの頼りないアンテナに届く何かがあって、それは、受け取ったその時は関わりのなさそうなことのように見えてしかし、長い時間をかけて並べてみるとそれによって理解する何かがあり、そのことが道しるべとなってくれました。あれはなんだったんだろう。あの人は誰だったんだろう。牛が草を食んで呑込んでは戻し、また食んで呑込んでは戻しながらようやく栄養とするように、わたしは私の出会いを反芻しながら歩き、立ち止まり、ときおりしゃがみこみ、また歩き出してようやくここまで辿り着きました。
五年前のような傍若無人さはとっくに失いました。
おもしろくねえなーと言われるかもしれません。
でも、それが今の私なのです。