久しぶりに声優として出演させていただきました『亡念のザムド』が、
DVDとBlu-rayになって発売になります。
プレステーション3と一部のテレビ放送では既に公開となっていたのですが、
どちらとも縁のなかった皆さんは
どうぞDVDもしくはBlu-rayでご覧になってください。
演出は、東小金井村塾時代の同級生・宮地昌幸氏。
アニメーションディレクターは、同じく村塾時代の同級生・奥村正志氏。
今回は『千と千尋の神隠し』の際に、宮地君が助監督として、奥村君がアニメーターとして、私が声優として参加して以来の共同作業です。
(Blu-rayには特典として、宮地監督の絵コンテも入っていて、私は個人的にとても感慨深かったです。当たり前だけれど、ああそうか、あれもこれも、彼が思い描いて作り出したものだったんだな、と思いました。絵も十二年前とは比べ物にならないくらい上達していて、ああ、この人はとてつもなく頑張ってきたのだなあ・・・私はちゃんと自分の場所でやってきたんだろうか・・・、と、いろいろ考えながら読んでいるところです)
二人を初めとする有志の想いから実現に至ったという、この巨大なプロジェクト。
「伊舟は、夕海さんに宛書きをしたんですよ」と一昨年、新潟の海で海水浴中に突然の電話依頼を受け、ええっ、嬉しいけれども、大丈夫かなあ・・・と、おろおろ参加を決めました。
それぞれに異なる道を歩み、それぞれの時を重ねていっぱしの大人になりましたが
私は、ひょろひょろなので
こんな素人みたいなやつ使ってくれて、もしへまをしたら二人に迷惑をかけてしまう、と
必死に頑張った作品でしたが、結果的には予想以上の表現に到達した場面も生まれ
ああ・・・よかった・・・と、胸を撫で下ろしています。
アニメーションに声を当てる仕事は
舞台や映画のお芝居とは違い、絵が呼吸をしているので
それをしっかり読んでこちらの呼吸を合わせることが必要です。
演出家の心や、アニメーターの心や、そこから生み出された画面とキャラクターの心や
そういうものを読んで体を通すので
私の意図とは全く無関係に、とんでもない声が出て来ることがありました。
アニメーションの一つのキャラクターに命が吹き込まれる瞬間というのは、大きな連鎖があってこそのものであることを、体験したように思います。
我が家にはプレステもなく、衛星放送やCATVもなく、携帯電話のテレビもなく
きちんと放送用に出来上がったザムドを見ることが出来ないうちに、実は機会があって
つい先日も宮地監督と再会をしたのですが
「なんで!?なんで観てないの!!?信じられない!!!」と、案の定、とてもがっかりされ・・・観てから会いたかったのに。と、私は私でしょんぼりしていました。
だってこんなに早く再会すると思わなかったんだもの・・・ごめんなさい。
そんな私が言うのはまったく説得力がありませんが
どうか連続して最終話までご覧ください。
その時に浮かび上がる感覚こそが、彼らの一番描きたかった気運ではなかったかと
思うからです。
私は収録の度、渡される断片を読みながら、その全体を一生懸命想像して声を探しました。
私の声が振り切れたのは、その世界に満ちた哀しみを感じたからですし
それを感知した証として、その声に到達することは必須でした。
と、それはザムドについて。
・・・それから。
また詳しくは告知いたしますが、こんな公演に出演する
「かも」しれません。
歌えるかもしれないし、歌わないかもしれないし
TAPだけかもしれないし、踊らせてもらえないかもしれないし
何もかも未定且つ可能性は薄いですが、とりあえず稽古に参加します。
出る出ないは、当日まで分かりません。
「え!まだなんか始めるの!」と、みんな思うに違いないと思ったので
時が来るまでナイショで稽古してきました。
とはいえ、まだまだ楽器として舞台に上げられるまでには何年もかかります。
おばあちゃんまでにそうなったらいいな、と思って始めたので、気長にやっていくつもりです。
今後の私がどういう形を成していくのか、どこへ向かっていくのか
もしこの公演に何らかの形で出演出来たとしたら、
それは一瞬かもしれないけれど
第3期?玉井夕海の始まりと思って下さい。