誰かが亡くなると喪失感の方が多いものだけれど、Michael Jacksonの訃報に対しては、びっくりしたと同時に、しっくりしてしまった。いなくなって初めて、彼がこの世界についさっきまで存在していたことを実感をしている自分。
「This is the final curtain call.(これが最後のコンサートになります)」
チャンネルを変える度に、ロンドンツアー会見の場で必死にピースサインをする彼の映像が繰り返し流れて来る。久しぶりにしっかり見つめるマイケルのか細い姿。大好きだった真直ぐな眼差しはサングラスに隠れて見えないが透明だ。悪意どころか愛情に満ちあふれた、けれど僅かに残ったその生命力を貪り尽くすようなファンの喝采と拍手にもみくちゃにされながら、彼は微笑みを浮かべ、途切れ途切れに、もう自分はこのロンドンという土地でライブをやることはないだろう、This is it.というスローガンは、そういう意味だということを伝えたい、と、言った。途端に押し寄せて来る過剰な愛の渦は彼をほっとさせたようにも見えたけれど、じゃあ、七月に会おう。片手をかざしたままくるりと背を向けたマイケルの肩は、吹雪の中、熊狩りに出掛けて行く病気のお父さんのように、精一杯勇ましく広がって、すうっ、と赤いカーテンに消えた。
私はもう、この会見のことだって、つい昨日まで積極的に知ろうとはしていなかった。
だって彼は遠い人なのだから。
そう普通に思い、その心の痛みに想いを馳せることを止める程、
私はすっかり大人になっていた。
小学校1年か2年の時。学校が休みになるとよく、建築家の父に連れられて彼の仕事を見にいくことの多かった私は、その日も、新しい住宅の設計依頼をしてくれた施主のご夫婦との打ち合わせに出掛けていった。
「大人の話は退屈よね。これ、観る?」と言って奥さんが再生機に差し込んでくれた『WE ARE THE WORLD』というビデオテープ中で、私は初めて彼のことを知った。まだ幼かったので、このプロジェクトに参加したスター達がどれだけ有名であるかも、それまでにどんな仕事をしてきたのかも全く知らず、ただ私は彼らの声の威力に圧倒され、自分の内側から溢れ出て来る体験したことのない強烈なわくわくに溺れそうになりながら、食い入るようにブラウン管を見つめていたのを憶えている。その中でも一際気になった人。それが、Michael Jacksonという名の、キラキラの洋服に身を包んだかよわい青年だった。
集ったメンバーの誰よりもか細い声で話す彼は、ひっそりと立ち、歌詞やメロディーのまだ分からないシンガーがいればそっと側に行って教えたり、居場所がなくそわそわしている人がいれば話しかけたりとまめに動き回るばかりで、曲を作った軸の人間であるにも関わらずちっとも目立とうとしない。あちこちで怒濤のようなパワーが噴出するスタジオの中を、一人静かに歩き回って調整を進めて行く彼は、時折その波に埋もれながらも、誰よりもまっすぐな眼差しをしており、その派手な衣装のせいではなく、静けさ故に強く浮き立っていた。
字幕もほとんど読めず英語も分からなかったけれど、それでも、この人達は心の底から遠い誰かのことを想って歌っているのだということは、はっきりと伝わった。
アメリカという国はこんなに素敵な人達が住んでいるところなのか。
両腕でぎゅっと膝を抱え、彼らと呼吸を合わせながら、私は、リレーのバトンのように歌が繋がって行く様を、固唾をのんで見つめていた。一人の声が鳴る度に息をひそめてメロディーを聴く。自分もその波の一部になったように、シンガーからシンガーへ渡される歌に乗って揺れていく。
歌う順番に並んだシンガー達が円になってレコーディングは進められたので、先程の青年があと何人したら歌うのかは、風景を見ていれば子供の私にも分かった。もう少し、もう少しであの人だ。歌のバトンが大きくなりながら彼に近づいて行くのを、カメラと一体になって追いかけていった。
・・・もう少し、もう一人・・・・・・・あの人だ!
音楽が彼に辿り着き、ひっそりとか細く高い声でほんの一節、彼は歌った。主張することなく、あくまでも歌の一部として放たれたメロディーは、あっという間に続いてのシンガー、ダイアナ・ロスに受け渡され、またさらにその先のアーティストへと繋がっていった。
けれど私は、呆然としていた。
なんというきれいな人だろう。
なんというさみしさなんだろう。
小さな私の中を、さらにエネルギーを膨らませて歌は駆け巡っていく。
再び彼の番である。また、ワンフレーズ。
そしてヒューイ・ルイスに渡された歌は、シンディ・ローパーによってさらに昇ってゆき
キム・カーンが受けて、
合唱。
大いなるエネルギーの洪水に埋もれながら、マイケルは笑っていた。みんな笑っていた。
一人のシンガーとして、人間として、彼は大きな歌に呑込まれて、幸福そうだった。
彼はいつもまる裸のまる腰だった。
だから、幼かった私も、世界中のたくさんのファンも、ミュージシャンも、
この人を必死に応援したような気がする。
壊れてはいけない。
どうか生きていてくれと。
「この人は、同じ世界の人ではない。」と彼の痛みや存在を自分から遠ざけたのは
本当に、彼が偉大過ぎたからだったのか。
それでは一体わたしは彼の何を見いだし、何を見守りたいと祈ったのか。
彼や、彼の仲間達のこの歌に出会わなければ、私は歌など歌っていなかった。
声を上げることなど、出来なかった。
ふと思い出して久しぶりに聞き返した彼の声に耳をすましながら
涙が止まらなかったのは、ほんの数ヶ月前のことである。
WE ARE THE WORLD